去年の今頃は。。。その1

12月16日はこっちの学校の最後の日でした。こちらは、クリスマスが正月の様なもの。ファミリーで過ごす時間です。なので、学校はクリスマスの前の週には終わるんです。

去年の今頃。19日は日本に帰るはずでした。母との多分最後の時間になるはずであろうと思っていました。

2週間。たった2週間。お別れをするには短すぎると思いました。でも、それでも今はここに私の生活の拠点がある。子供の学校もある。数時間では帰れる距離ではなかった。

ところが、金曜日に現地校が終わり、土曜日の補習校の日、大雪になりました。次の日に日本へ発つというのに。。。

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雪の中、何度も飛行機会社に電話をして、実家に電話を入れて。。。ヤキモキした一週間でした。

その間に「アンタ達が帰って来ないかもと思ったら、お母さんの具合がうんと悪くなっているのよ。とにかく早く来なさい」と姉からプレッシャー。行けるものなら飛んで行きたいって!

とにかく母が気落ちするのに比例して、体の具合がうんと悪くなっていたようです。

結局は26日に日本の出発する事が出来、日本に居たのは1週間だけとなってしまいました。27日について、28日は京都に日帰りで行きました。

この京都行きに関しては(前に記事で書きましたが)考える所が色々とありました。

去年いよいよ母の抗がん剤が効かなくなった時に、姉が国際電話をかけてきました。

いよいよ抗がん剤治療はしない事にした。これからは緩和治療のみ。そうなると意識レベルが下がるはず。もしも意識があるうちに母に会うのなら、この冬休みが最後のチャンスだと。どんな嘘をついても良いから母に悟られない様に自然に日本に来い。と。

毎年基本的には休みが長い夏に日本に帰っていたので、いきなり他の時期に行くと、そりゃあ母は「自分はもう長くないかも」とがっかりしてしまうだろうというのが私たちの心配でした。

更に姉は「子供が京都に行きたいと言っていると電話でお母さんにアンタから言ってちょうだい。お父さんが反対するに決まっているから。それでお母さんは行かないって言うから。だから、アンタが『子供と行きたい。お母さんも一緒に行こう』って言いなさい。」と私に言うのです。

姉は私の分も親の介護をしてくれています。海外にいるとはいえ、例えば日本にいても子供がいる分、全面介護が出来たかどうか。。。介護って本当に大変です。その上に、あのこうるさい父とも暮らさなくてはならないので本当に大変だと思います。

もちろん父は旅行何て言うと大反対に決まっています。姉の話だと何度も口論になったようです。父は医師だったし、腹部癌専門だったので癌患者を多く目にしてきました。父は「私の患者のようにすべてを悟って死んで行くべきだ」みたいなカッコ付けの話しかしないそうです。(酷いでしょう?本当に昔の人なんだよね。)冷たい訳ではないのね。母にも出来るだけ長生きして欲しいと心から思っているのだけど、変な美学があるんだよね。

今の福祉と違ってホスピスの概念が父にはないのでしょう。医療が出来ないという事は医療技術の負け、みたいな。姉は「お父さん、お母さんはもう自分が長くない事は薄々分かっていて、死の恐怖と戦っているんです。そんなお母さんをベットに縛り付けておくなんて可哀想です。リスクを伴っても旅行には連れて行きます。」と口論したそうです。

私は父とは話していないし、父はきっと姉と私の間に上記の様な会話があった事なんて知らないと思う。

しかし、私は悩んだ。父の気持ちも分かる。姉と違って父は年老いている。動く事が「なんでもないこと」ではない状態がどういう事かは少なからずとも分かっているのだろう。

母の気持ち。姉の気持ち。父の気持ち。どんな風に答えを出したら良いのだろう?介護する側、される側。みんなが同じ気持ちとは限らない。何が一番いい方法かなんてどうやったって答えが出るわけないのにね。

そんなとき、毎日読んでいた藤谷ペコさんのブログを訪れて、ふと前にペコさんが『どうしても旅行に行く』と決めて実際に旅行に行った記事を思い出したのです。

http://pecochan.at.webry.info/200812/article_22.html

人間にとって楽しい事、やりたい事がいかに大事な事かと思いました。姉の言う事の方が正しいのかな。。

私の母に取っての希望とは、唯一の孫の私の息子と娘でした。孫達の成長がとても楽しみで、まだ母が元気な頃には日本に帰るたびに箱根に家族旅行をしていました。母は若い時から旅行が好きだったのに、アルツハイマーだった祖母(しかも相当苛められていたそうだ)の面倒を自宅で見て、自由になったら自分はもう若くなくなってしまったと、とてもがっかりしていた母。

そうね、母は旅行好きだったんだっけ。姉の言う通りに、母に言ってみるかな。と、そう思って母に姉の言う通りに「ねえ、お母さん。ゲーナ(息子)も中学に入って夏は忙しくなるんだ~。合宿もあってね~。もしかしたら1週間も日本にいられるかどうか分からないんだ~。冬に日本に行こうかな?」「あとさ、日帰りで京都とかっていけるかなあ?ゲーナが宗教の授業(こっちには宗教の授業がある)で鳥居とか勉強したのね。だから、今、京都みたいな歴史的な所に連れて行きたいなあって。。お母さんも一緒に行く?」
なんて話してみました。

母は喜んでくれて、旅行も最終的には行く決意をしたそうです。

父が納得していませんでした。が、最終的には問診をしてくれる先生に、姉が「まだ見込みがあると思うのなら私もベットに縛り付けておきます。でも今後はもうモルヒネを使って痛みを抑えながら何の治療もせずに悪くなる一方で、後は弱って行くばかり。旅行になんて行けるのはもう今しかないと思うんです。行けるのなら、多少悪くなっても孫と最後に良い思い出を作らせてあげたいんです。」と言ったそうです。

先生もそう思うという事で、問診に来た時に反対する父の前でOKを出したそうです。母はやはりこれが最後だと分かっているんでしょうね。その後に父と喧嘩をしたそうで「孫と旅行出来るのはこれが最後なんだから行かせてくれ!」と言ったそうです。

姉はそれを母の大きな目標とさせる為に予定を組み、22日に日帰り旅行をする予定でした。

そんな中での大雪。

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子供達は喜んでいたけど、私はとっても憂鬱だった。早く、一日でも早く日本に行きたいと気が焦る中・・・・飛行機が私たちの番になったのは26日で、結局母と一緒に過ごすはずのクリスマスは台無し。

かといっていつ飛ぶか分からない飛行機を待っていたので義母とも過ごせない。

去年はとんだクリスマスでした。ちなみに、こういうイライラ&ストレスも私の乳癌を育てていたんだろうな~~~(-""-;) 育つな!っつうの~~ヾ(。`Д´。)ノ

注)娘の名前を本人の大好きなパンダにした事に対して、息子の名前は本人の希望で『わにのゲーナ』(Крокодил Гена、Krokodil Gena、クロコディル・ゲーナ)から頂きました。

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