母の話(になっちゃいました)

初めに左胸に違和感を感じたのいつだったんだろうか?もしかしたらもう少し前から痛みがあったのかもしれない。でも、はっきりと不安を感じたのは2月の半ば頃だったと思う。

その前は私の母が癌を患っていたので、毎年夏には必ず日本に行っていた。(息子の受験の年以外)少なくとも1年に1回は。

少し母の話になりますね。

母が癌になったのは2006年の夏でした。卵巣が原発で、見つかった時には子宮、大腸、横隔膜にまで転移していました。私の父は昔外科医だったのですが、写真を見て絶望していたのを覚えています。もの凄く悲観的でした。父の時代の医療では明らかに手遅れだったのでしょうね。

2007年の夏、母の癌はすっかり綺麗になりました。勿論体の中に癌は潜んでいましたのでしょうが、表面的には綺麗になっていました。父は喜び、後は定期的に検査に行く事になっていました。

2010年の5月。母の再発が分かりました。私はイギリス在住なので姉からの話でしか情報は得られないのですが、姉の話だと「定期的に検査には行っていたけど、お医者さんは(再発を)知っていたのに教えてくれなかった。どうやら母の年で抗がん剤をさせるのは可哀想と思ったらしい。その先生がリタイヤして新しい先生が担当になったから教えてくれたのよ。」との事でした。

見つかった時には腹水がたまって下痢が続いていたそうです。それを見て貰ったら再発していたようで、腹膜、大腸、子宮、リンパにも癌は広がっていました。前回と同じ抗がん剤のタキソールを3週間に1回で投薬という事になりました。

1回目の投薬をした時に腸閉塞を起こして苦しかったようです。父に泣いて「帰りたい」と言っていたそうです。体力がなかったのでしょうね。

夏には日本に行きました。イギリスを出発する前には「孫達が来るまでもつかどうか…」と父にも姉にも言われていたので。 母に会う時はとても怖かったのですが、母は少しやつれていただけで思ったよりも元気でした。孫たちの到着を喜んでくれて、子供達に会えた喜びからかとても元気そうでした。

やっぱり「病は気から」の言葉通りなのかもしれませんね。何にせよ私にとっては元気な母はとても嬉しいことでした。

抗がん剤で度々入院をしましたが、その間中毎日病院に通いました。母の抗がん剤もこの時は効いていたようです。予定の投与よりも余計に抗がん剤を打つ事が出来たのです。

私たちはイギリスに帰り、日々の生活を送りました。が、冬近くに姉から電話があったのです。「もう抗がん剤が効かなくなった。一旦休んで、もしかしたら正月明けに別の抗がん剤を試すかも。」と。

そしてその後には「使うかもしれなかった『アドレアシン』はお母さんの体力では無理。後は緩和ケアーにすると思う。もう次の学期には危ないかもしれないから、どんな理由をつけてもかまわないので冬に意識のあるうちになんとしてでも日本に帰っておいで」と。

母に電話をして「夏には息子が学校で合宿があるみたいなんだよね~。日本に行けても1週間だもんな~。冬に行こうかな~。でもいきなり行ったらお姉ちゃんに怒られちゃうね~。ダメかなあ。」と言うと、母は「大丈夫よ、そんな事言わないわよ。じゃあいらっしゃい」と言いました。

ところが学校が終わってすぐに日本に行き、2週間いるはずが(しかも無謀にも旅行にも一緒に行く予定でした)前日にイギリスで大雪が降りました。飛行機が飛ばないのです。

最終的に1週間遅れで日本に到着。がっかりした母でしたが旅行にも行き、孫達と無事にお正月を迎えました。殆ど食べられなかった母が孫と一緒なら好きなものを(小皿一杯ですが)食べられることが出来たんです。私たちは1月2日の朝にイギリスへの帰路につきました。

そして・・・まるで私たちを送り出してからという様に1月6日の昼過ぎ、母は旅立っていったのでした。

私たちは日本にとんぼ返り、葬儀を終えると学校があるのでまたイギリスにとんぼ返り。。。。

そんなこんなであの頃にもし痛みを感じでも、心の痛みの方が大きかったからきっと気が付かなかったんだろうな。

何しろはっきり胸に違和感を感じたのは2月に入ってからなのでした。


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