うめの乳癌日記

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zoom RSS 去年の今頃は。。。その2

<<   作成日時 : 2011/12/29 10:23   >>

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今日は暗い話です。暗い話が聞きたくない方は、どうか読まないでくださいね・・・

去年の今頃・・・28日には京都旅行に行きました。前回の続きです。(mixiの日記からの転記)これは私自身が癌になる前に書いた文章です。読んでいて自分でも「あの頃は自分に癌になるなんて思っていなかったなあ。」なんて思う様な文章だなって思います^_^;)

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日本に着いて実家に帰った時は、実はとってもショックでした。やせ細った母。髪ももの凄く薄くなっていました。(私達が夏にイギリスに帰った後、抗がん剤4クール、5クール目の後に毛が抜けたそうです。)

姉が言っていたように「病人は前向きに物事が考えられないようになっている」と言う事は本当なのかもしれません。孫達が着いたその後でさえ、なんだかがっかりしたような顔をしていました。母は、雪の為に孫に会えるのが一週間も減ってしまった。と言う事にがっかりしていたようです。

しかし、時間が経つに連れて段々元気を取り戻し、2日目ぐらいからは笑顔が多くなってきました。

前に書いた記事の様な背景のもと、28日、私達は京都に旅に出ました。いざというときの酸素ボンベを持って。

行きはゲーナ(息子)だけ実家の車に乗り、パンダ(娘)と私達はタクシーで東京駅まで行きました。可哀想なカーナさん(姉の犬)諦めたように自分のクッションの上に丸まっていました。。。。母の状態が芳しくなかったので、本当は京都で友人に会いたかったんだけど無理そうだなあと思ったのでお電話で失礼しました

行きの新幹線の中はなんとか母は大丈夫でした。パンダは物心ついてから初めて新幹線に乗りました。途中、綺麗な富士山も見えました母は腹水がたまっているので起き上がり過ぎても辛いし、リクライニングにして(姉がいつもその後ろの席に座り、私が前に座り)体がずり落ちて来る時には姉と私で体を引き上げました。

車椅子への移乗も義兄がしてくれ、車椅子ごと乗せられる車両もレンタカ−してくれました。(昔、京都に住んでいたこともあるので、義兄に取っては)地元なので運転も義兄がしてくれました。

初めに広隆寺に行きました。弥勒菩薩のある所。姉は弥勒をどうしても母に見せたかったようです。

弥勒は美しかったです。

いつか、姉が仏像を観ていた時に父がこんな事を言ったそうです。
「ママの美しさは仏像の美しさなんだよな。」と。

その後に京都でしか食べられないお豆腐のお店「嵯峨野」に行きました。

http://r.tabelog.com/kyoto/A2604/A260403/26000814/

しかし、その時、姉と2人で母をトイレに連れて行きました。嵯峨野さんは全く歩けない母の為にとなりにあるホテル(だと思うんだけど)の身障者用のトイレに連れて行ってくれました。

この間までは母の介護は姉が頑固に「私がやる」と言い張っていたのに、今回に限っては「お母さんはもう立っている事も出来ないから、今度は一緒に介助をお願い」と言って来ていました。その時点で、もう母は相当参っていました。腹水がたまっているので、苦しいんです。

お豆腐屋さん。これでもかと出て来る精進料理は本当に美味しく、日本文化の素晴らしさを感じました。こういう料理を毎日食べたら本当に健康よね。美味しいし。基本は野菜、あっても魚。

ゲーナ(息子)はこういう料理が全くダメで、ほとんど手を付けませんでした勿体ない。パンダは豆腐大好きです。バクバクと豆腐を食べていました。

そんな中で母は豆腐を半分(一切れの豆腐は多分、普通のお豆腐1パックの1/6〜1/8)しか食べられませんでした。

それでも姉の話だと私達が着く前までは、一切口からは食べられなかったそうで、こうやって口から食べてくれるという事が奇跡的なぐらい凄い事だったようです。

姉が私に耳打ち。「ごめん、金閣銀閣の両方はムリ。どっちか1つ。どっちにする?」「じゃあ金閣」という事で。その後は金閣に行きました。

車に入ってから疲れていただろう母は少しウトウト。 金閣に付く頃には母は持ち直しました。

友達は「金閣を見に行ったら『そこまで金ぴか!?』って思ったよ」と言っていましたけど、確かに金ぴかでした。子供達はその頃には旦那からそれぞれ良いカメラを借りてバシバシ写真を撮っていました。

広隆寺では孫と一緒に写真を撮りたくないと言っていた母。自分の弱っている姿は残したくないんだろうな。しかし「お母さん、金閣寺がこんなに綺麗だから、子供達がおじいちゃんおばあちゃんと一緒に写真を撮りたいって!」と言うと一緒に撮ってくれました。良い写真が撮れました

画像


後は、義兄さんが車の中からだけでもと出来るだけ色んな道を通って平安神宮だの清水の近くとか。。。

駅についてからは駅の地下街でお土産を買いました。が、その時には母が黄色胃液を少し吐いたようです。口から食べたものを消化しきれなかったのかしら。。

なんとか新幹線に乗り、帰りはみんな疲れて寝たりしていました。子供達も私も時差ボケがあり、眠気が襲って来ていました。しかし、旦那がYoutubeかなんかのスタンダップ・コメディーをゲーナに見せたらガハガハと笑っていました。

東京駅についてからはみんなで地下駐車場に行き、ゲーナと私達夫婦以外に車に乗ってもらい、私達は電車で実家に帰りました。

家に着いてからはゲーナは「おばあちゃん、ごめんね、僕の為に疲れさせちゃって。連れて行ってくれてどうもありがとう。本当に楽しかったよ。」とおばあちゃんに、おじいちゃんにもお礼を言いました。ゲーナは少しおばあちゃんの事を心配しはじめています。

こんな状態であれば少しでも母の側にいた方が良い,今回の帰国では友人には一切会いませんでした。

でもね、母はやはり孫に会えて嬉しいみたいです。私が「ごめんね。」といっても「そんな事ないよ、楽しかったよ」と言ってくれました。

今日はやはり疲れが出たのかうつらうつらしています。体調を気遣いながら、それでもなるべく孫が側にいるようにさせています。

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旅行に行ってみると、もちろんとても大変だったと思います。私の選択は間違っていたのだろうか?と激しく思う程。

29日にはぐったりとしていた母なのですが、30日31日はとても元気になりました。

子供達に聞くと、おばあちゃんは寝ているか半分寝ているか、テレビを見ているか子供達に話しかけていたようです。
「勉強はどう?」「(習い事の)練習は難しいねえ。」「お母さんと一緒に頑張りなさいよ」
と子供達に話しかけ、子供達もそれに答えていたようです。

そうかと思うと「うめ子、うめ子」と私を呼び、何かと思うと
「お母さんの物は、仲良くお姉ちゃんと分けるんだよ。私の好きなコートなんかもあるしね。」
と言いました。私は
「何を言っているの、お母さんが早く良くなって着れば良いのよ。」
と、笑って言いました。それでも母は「仲良く分けるのよ」と言いました。
「お母さん、今度は鎌倉に行こうか?」と。母は笑っていました。

年末年始は、子供達にずっとおばあちゃんの部屋にいてもらいました。台所の食卓は全員座れないからと言って、子供達にはおばあちゃんの部屋でおばあちゃんと一緒に食べてもらいました。
30日にはテレビで「ガキ使の笑ってはいけないシリーズ総集編」をしていたようで、子供達の笑い声が聞こえていました。旦那にはおじいちゃんと一緒にいてもらいました。

31日、元旦は母は御飯を良く食べました。姉の話だと腹水がたまり殆どものを口にしなかったようです。醤油皿に乗った食べ物さえ1/3ぐらいしか食べられないこともありました。後は氷とかガリガリ君アイスキャンディーを食べるぐらいだったそうです。でも、例えばパンダが赤身が好きと一緒に食べると、母も一緒に2、3切れ食べます。1回は握りを1貫、食べたぐらいです。年越しそばも食べ、元旦にはお雑煮も食べました。

元旦には近所の神社で祈願。


画像


子供達は「お婆ちゃんが早く治ると良いね」と。

2日に帰国する為に実家を出る時には、母の前ではニコニコと笑いました。
子供達にBig Hugをさせて私も母を抱きしめながら、
「お母さん、頑張ってね」
と言うのがやっとでした。本当は「愛しているよ」と言いたかったのですが、それを言うと母はこれが最後と思うかもしれないと思って言えませんでした。

母の見えない所に来るとこらえていた涙が溢れ出てきました。父と姉に声をかける事すら出来ずに玄関先で頭を下げるのが精一杯でした。最後に、なるべく明るい声で
「お母さ〜ん、行ってきま〜す。」と玄関から母に声をかけました。母からか細い声で
「いってらっしゃい」
と言われて、泣きながらタクシーに乗って東京駅に行きました。

どうしても会いたいと言ってくれた友人が、東京駅から成田までの間、私たちに付き合ってくれました。泣きはらした顔だったけど、普通の話が出来て気がまぎれました。

しかし、お陰で成田のレストランに忘れ物をしてしまいました。イギリスに着いてからすぐに成田の連絡先を旦那に調べてもらい電話した所、忘れた物は成田にありました。ただ夜勤の人しか居ないと言う事なので、イギリス時間の12時(日本時間の朝9時)まで待ち電話をかけ直してなんとか実家に着払いで送ってもらう算段をしました。

それから実家に電話をしました。このところ、母は動けずにいるので、大抵は父が電話を先にとるのですが、丁度無事に着いた事と合わせて忘れ物の事を報告しました。

次の日(3日)、子供達に電話をかけさせました。母は短いながらも普通の応対でした。そして4日にも電話をして母は子供達と話しました。

5日は学校が始まり、電話が出来ずに終わりました。その夕方、義兄さんから電話がありました。母がいよいよ酸素ボンベをつけたとの事です。胸がドキドキしました。私の感情の起伏がはげしかうなるのが良く分かりました。

6日の明け方、6時過ぎ、義兄さんがお知らせをくれました。涙だけが出てきました。父は「俺ももう〇〇歳で長くない」なんて弱気になっていました。本当に連れ合いを無くすと言う事は、傷つくものなんだろうなと思いました。これから趣味も無く、傲慢が故に人付き合いも出来ない父は大丈夫だろうか?と思いました。

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こんな風にして今年の6日に母は旅立っていきました。1年前はまだ母は居たのだなあ。1年経っただけでは、なかなか痛みは癒えない物なんだな。母は特別な存在だったと思う。良い年をして子供のようだと言われてしまうかもしれないけれど、私に取っての母は大きな大きな存在だったんだなあと気が付きました。いつも母さんは私の愚痴も聞いてくれていたものねえ。。。

去年の今頃は、自分が癌になるとは思いませんでした。っていうかそれどころじゃなかったかな、悲しくてf^_^;

文章をみても分かるよね。髪の薄くなっている母にショックを受けている自分。今はつるっ禿の生活に慣れきっている自分(≧▽≦) ねえ?

それでも母の潔さとでも言おうか・・・

だって、本当はうんと苦しかったはずだもの。癌があちこちに広がっていて。。。でもたまに「ここが痛むのよ」って言うだけ。それで本当にちょっとだけさすってあげただけで「ありがとう、良くなったよ」って。そんなはずなかったんだろうな。ねえ、お母さん。

それでも私たちに心配かけまいと病気の事に関しては愚痴一つ言わなかった母です。

私は母から色んなものを学んだ様な気がする。

そして、普通は痛みがなく気が付かずにどんどん大きくなっていく乳癌。2月あたりに「重いなあ」と私に気が付かせてくれたのは母なのかもしれない。

母は初発の卵巣癌が見つかった時には既にあちこちに転移していた。(卵巣、子宮、大腸、腹膜)

そんな母に比べると2aで気が付かさせてくれた事に感謝しないとと思います。

そして愚痴も文句も言わずに黙って頑張って治療した母。タキソールであれだけ広がっていた癌が綺麗になった母。

姉の話だと、その後にかかったお医者さんは、もっと前に再発に気が付いていたそうな。でも年寄りだから「治療が可哀想」と判断してあえて積極的に治療を進めなかったそうです(その後に定年されて、新しい先生が再発を告げたとか。。。)

もう少し早ければもう少し長生きしてくれたかも。。。でもそれについても文句も言わずに、頑張って治療していた母。

そんな母の娘ですから、私も治療に励みます。家族の為に、母の為に、頑張って長生きをします。文句を言わずに出来る治療に励みます。

お母さん、私、頑張るね(*゚ー゚)ゞ

今、生かされている事に感謝をしながら。。。。(ノ^^)八(^^ )ノ 


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
素晴らしいお母さんだったのね。
たった、1年・・・。
もう、1年・・・。
でも、子どもにとって母の存在は特別だから、どんだけったっても色褪せない。
自分もそうなれるよう、しっかりお母さんやっていこう(*^_^*)

ayaya
2011/12/29 16:11
>ayayaさん
母自慢になっちゃうけど、素敵な母でした。昔の人だし、我慢強い人でした。偉いと思います。

母の様になりたいけど、ガミガミ母でダメだなあf^_^; 
しっかり母にならんとダメよねえヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
頑張ろうね〜♪
うめちゅう
2011/12/30 07:39

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